私が狩猟を始めるきっかけになったゲームがある。
The Hunter: Call of the Wild——スウェーデンのExpansive Worldsが開発し、2017年に発売された、いわゆる「洋ゲー」のハンティングゲームだ。

狩猟を始めた理由を聞かれる機会は、実はけっこう多い。銃砲所持許可の面談や、猟師同士の交流など。そのたびに「祖父が猟師だった」とか「美味しい肉を腹いっぱい食べたかった」といった答えを返してきた。
どれも事実だ。ただ、話していないきっかけがもう一つある。
それがこのゲームだった。
このサイトは、もともとゲームサイトだった
先に少しだけ、このサイトの背景を話しておきたい。
このブログは、もともとゲームのウェブサイトだった。

私は子どもの頃からゲームがものすごく好きで、ファミコン・ゲームボーイ・スーパーファミコン・プレイステーション・セガサターン・PS2・PS3・任天堂64・Xbox——だいたい家にあった。ずっとゲームをやっていた。その延長で、2016年頃、ゲームのオウンドメディアを始めた。
それが、いま読者が見ている、このサイトの前身だ。
その後、狩猟を始めてからは、正直に言って「ゲームより狩猟のほうが全然沼だ」となってしまい、結果としてこのサイトは狩猟中心になった。
でも、根っこの部分にはずっとゲームがある。それは今も変わらない。
海外ゲーム漁りの果てに出会った一本
The Hunter: Call of the Wildとの出会いは、いつもの「海外ゲーム漁り」の中だった。
ある時期から日本のゲームに飽きて、私は英語版だけの洋ゲーばかり買って遊ぶようになっていた。日本ではローカライズされていない名作を、自力で探すのが好きだった。
そんな中で「なんか面白そうだな」と思って買ったのが、このゲームだった。
あの頃、私は気を病んでいた
このゲームを買ったタイミングの話を、少しだけ書いておきたい。
上の子が2歳の頃、ちょっとした病気で入院することになった。ややこしい病気で、いつ退院できるか分からない、悪化したらもっと悪いことが待っているかもしれない、そんな状態がしばらく続いた時期があった。
(結論から先に言うと、いまはほぼ完治している。)
妻はその入院に付き添っていて、しばらく家を離れていた。その間、私はまだ1歳だった下の子を、ワンオペで面倒を見ながら仕事をする、という状態が続いた。

朝起きて、子どものご飯を準備して、少し遊ばせながら仕事をして、昼寝のあいだに仕事を進めて、ご飯を食べさせて、おむつを替えて、一緒に風呂に入って、寝かしつけて——寝かしつけたあとに、ようやく自分の時間がやってくる。
正直、あの時期はかなり気を病んでいた。
上の子の病気が良くなるかも分からない。妻と入院中の子とはLINE通話のみ。自分は1歳の子と2人きりで、仕事もこなさないといけない。
それまでは友達とオンラインで遊ぶこともあったけれど、あの時期は精神的にとにかく不安定だったので、人とゲームで盛り上がるような気分にはなれなかった。
一人で、静かに遊べるゲームがほしかった。
そのタイミングで手元にあったのが、The Hunter: Call of the Wildだった。

そのゲームは、動物が全然獲れなかった
普通、ハンティング系のゲームというと「獲物がどんどん出てきて、バンバン撃って、たくさん獲れて楽しい」というものを想像すると思う。
私もそう思って、このゲームを起動した。
現実は、全然違った。

まず、動物に会えない。ゲームを起動して1時間プレイしても、動物と遭遇するのは1〜2回あるかないか。発砲する機会にいたっては、1時間に1回あるかないかというレベル。
早く移動したくて走ると、足音で動物が逃げる。歩いても、藪の深いところではガサガサという音で逃げる。だから、藪の近くではしゃがんで移動する。獲物が近くにいるのが分かったら、匍匐で近づく。そういう駆け引きが必要になる。
そして、当たっても獲れないことがある。
鹿のバイタル(心臓や肺のあたり)に命中させないと、確実には獲れない。腹や足に当たっただけだと、獲物は延々と逃げる。追跡しても見つからないこともある。

これは実際の狩猟でも同じで、鹿はバイタルに当たっても50〜100mは平気で逃げる。腹に当たっただけだと、翌日まで生きていることもある。
このゲームは、そういう「動物を追う難しさ」に、恐ろしいくらい忠実だった。
マップは広大で、Layton Lake、Medved-Taiga(ロシア)、Yukon Valley(カナダ)、Te Awaroa National Park(ニュージーランド)、Peru Hunting Reserveなど、世界中の国立公園をモデルにしたエリアが収録されている。2017年の発売以来、拡張DLCが増え続けていて、いまでもリリースされている。

そして、このゲームの世界にはプレイヤー以外の人間が一切出てこない。この広大な自然の中に、自分ひとりと、動物たちしかいない。
静かなゲームプレイが、私を救った
ゲームプレイのほとんどが、自然の中を歩いているだけの時間になる。動物を追いかけている時間より、動物を探して自然の中を移動している時間のほうが、圧倒的に長い。
聞こえてくるのは、自分の歩く音。風の音。木々のざわめき。鳥の鳴き声。動物の求愛の鳴き声。動物の警戒音。雨が降れば雨の音。雷の音。日が暮れて夜になれば、虫の声。

そういう音を聴きながら、広い自然の中をただ歩く。動物を見つけたら息を潜めて、照準を定めて、本当に一発だけ、鉄砲を撃つ。
これが、あの頃の気を病んでいた私にとって、想像していなかったほど価値のある体験だった。
陳腐な言葉になるけれど、リラックスできた。しんどいことを忘れられた。もっと言えば、広くて自由な世界で、自然と一緒になれた気がした。
ただ画面の中を歩いているだけなのに、そう感じられた。
子どもを寝かしつけた後、真っ暗な部屋で、モニターの中の森を静かに歩く。それが、あの時期の私の呼吸を、少しずつ整えてくれていた。

Way of the Hunterと遊んで気づいた「Call of the Wildが特別な理由」
余談として、Way of the Hunterというハンティングゲームも試したことがある。定価7,000円くらいで購入した。

こちらは、Call of the Wildとは対照的に、動物がガンガン獲れる。観察小屋に入って待っていれば、2〜3分に1回は何かしらの動物が来る。狩猟ゲームらしい爽快感が、しっかり用意されている。
面白いか面白くないかで言えば、面白い。ただ、私にはハマらなかった。
なぜかと言えば、私はもう、Call of the Wildの「動物との出会いの重さ」「一発の発砲の重さ」に慣れてしまっていたからだ。
動物を長い時間追いかけて、忍んで、トラッキングして、一発で決める——あの体験を知ったあとだと、簡単に獲れてしまうことが「物足りない」に変わってしまう。
当初の自分が期待していた「バンバン撃って、たくさん穫る」というハンティングゲームの楽しみは、たしかにWay of the Hunterのほうが実現できる。ハンティングゲームの入り口として、あるいは撃ち抜く快感を味わいたいなら、Way of the Hunterのほうが向いていると思う。
一方で、「実際の狩猟がどういうものなのか、その気配だけでも触れてみたい」という人には、迷わずCall of the Wildを勧めたい。
セールで安くなることも多いから、興味があれば試してみてほしい。
実際の狩猟に活きた「一発の重さ」
Call of the Wildは、実際の狩猟を始めてからも、私にひとつ大きなものを残してくれた。
それは「獲物のどこを狙うか」という感覚だった。

このゲームには、獲物を仕留めた後に「弾がどこに入って、どこで止まったのか」を教えてくれる機能がある。いわゆるX-ray shotというやつで、透明な体の中で弾道が可視化される。バイタルショットだったのか、それとも外していたのか、どういう角度で弾が通ったのかが分かる。
これを何度も見ていくうちに、いくつかの癖が自分についた。
- 獲物がこちらを向いているときは、前脚と前脚の間の心臓から肺のあたりを狙う
- 横を向いているときは、胸の中央より少し前、肩の後ろ側の心臓〜肺のライン
- 向こうを向いていて顔だけこちらの場合、ケツを撃っても意味がない。横から回り込んでバイタルを狙うか、肩の高い位置を狙って背骨を砕く一発を選ぶ

こういう判断ができるようになったのは、間違いなくこのゲームのおかげだ。
現実の狩猟でも、鹿が目の前に出た瞬間の判断は、ほんの一瞬で決めないといけない。あのX-ray shotで刷り込まれた「狙うべき点」のイメージが、実銃を構えた時にも自然に出てくる。
ゲームで身についた癖が、本当の獲物の前で役に立った——これは、当時買った時の私には想像もしていなかった副産物だ。
完全にリアルではない、それでも真摯だった
もちろん、Call of the Wildがすべてリアルかというと、そうではない。
動物を追いかけていたらフィールドの端で急に消えたり、クマやイノシシに突き上げられて100mくらい飛ばされたり、非現実的なことも起こる。ゲームである以上、当然そうなる。

それでも、このゲームはハンティングという行為に対して、ものすごく真摯だった、と私は思っている。
自然の中で、時間をかけて、動物を追う。一発の発砲にすべてを賭ける。獲れないことのほうが多い。獲れたときには、その一発が本当に価値のあるものになる。
こういう感覚を、ゲームというメディアで、真面目に、丁寧に、再現しようとしていた。
実際に狩猟を始めた今、フィールドで感じるあの空気は、Call of the Wildの中で歩いていた時間と、思っている以上に似ている。
最後に——Call of the Wildが、私にもたらしてくれたもの
改めて、このゲームが私にもたらしてくれたものを整理すると、こうなる。
一つ目は、あの時期の呼吸を整えてくれたこと。
上の子の病気、下の子のワンオペ、仕事。人生でも一番といっていいほど気を病んでいた時期に、静かに自然の中を歩く時間を、このゲームは私に与えてくれた。
二つ目は、狩猟という選択肢を、私の人生に置いてくれたこと。
もしかしたら、このゲームに出会っていなくても、私はいずれ猟師をやっていたかもしれない。祖父が猟師だったし、美味しい肉を腹いっぱい食べたい気持ちもずっとあった。ただ、その一歩を実際に踏み出す背中を押してくれたのが、間違いなくCall of the Wildだった——それは確かなことだと思う。
三つ目は、実際の狩猟で使える「一発の重さ」の感覚。
ゲームで刷り込まれた狙点、動物との距離の感覚、慎重さ。これらは全部、私が実銃を持ってフィールドに立ったとき、大いに役立った。

一本のゲームが人生を変えるとまでは言わないけれど、人生の中の、ある一時期を確実に支えてくれるゲームは、The Hunter: Call of the Wildだった、というだけの話。
少しでも興味を持った方がいれば、ぜひ遊んでみてほしい。(楽しくなかったら、それは本当にごめんなさい。)




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