我が子の夏休みの宿題。あと1つだけ残っていた。
夏の大三角を観察する。
盆休みで宮崎の実家に帰ったり、その後も色々あって、後回しに後回しにして、最終日近くまで残っていた。しょうがないので、小4の息子と一緒に、車で山のてっぺんまで登ることにした。
夜の8時ごろ。
大きなキャンプ用ランタン、ヘッドライト、それから自分が狩猟に使っているサーマル——「何か面白いことがあるかもしれん」と思って、サーマルカメラも一緒に積んで出発。
ちなみに、クマの目撃情報が出ている場所でもある。ちょっぴり不安もあった。
山の上には、他にも人がいた
行ってみると、そこは夜景が綺麗な場所でもあった。
大学生のグループ、夫婦、カップル、そんな人たちが2〜3組、夜景を見に来ていた。
野生動物が近寄ってくる気配はなかった。安心して、星の観察に集中できる環境だった。
目をキラキラさせて、星座早見表と格闘する息子
息子。小4の男児。二児の弟の方。ヤンチャボーイ。
思ったら即行動する。移動する時は常に走っている。じっとしていない。
いつもニコニコしている。いい子ではあるけれど、時々ズルもする。うちではよく「犬みたいな子だ」と言われている。
何かトラブルがあれば、だいたいの原因である。お姉ちゃんとイザコザがあれば、たいていはこの小4坊主が意地悪しているか、ズルしているか。でも、憎めない。
その息子は、将来「猟師になりたい」と言っている。生き物がとにかく好きで、虫も動物も好き。猟期には鹿笛を持って、一緒に鹿を探しに行ったりもした。
そんな息子が、自分の隣で星座早見表と格闘していた。
日付を合わせる。時計を見ながら時間を調整する。方角を確認する。
「これで合ってる?」と自分に話しかけるたびに、ヘッドライトがまぶしい。
まぶしそうにすると、「あ!ごめん!」とまた星座早見表に目を落とす。
目をキラキラさせながら、白鳥座、こと座、わし座——夏の大三角を作る3つの星を、順番に見つけていく。
宿題自体は「夏の大三角を見つける」で終わりだ。あっという間に完了する。
息子は、「まだ帰りたくない」と言い出した。
「動物を探したい」
サーマルで、山をのぞいてみる
登山口の近くから、山の斜面に向けてサーマルカメラを向けてみる。
「なんか赤い。でかいのがいる」
自分ものぞいてみた。瞬時に理解した。熱を溜めた大きな岩だ。
我が子には、「何かいるかもしれんね」と、ちょっとだけ期待をさせるようなことを言ってみた。
自分だけ近づいてみせる。ライトで照らして、「ただの岩だったね」、と。
「岩かー!」「そう、実は猟場でもね・・・」と、サーマルカメラの間違いあるあるを話してみせた。
ランタンや街頭のライトが赤くなっているのを見つけて、「なんか赤い!」と騒ぐ息子。
木を見て、鳥は全然いないねと話しながら、普段は目に見えない世界を、サーマル越しにのぞいていく。
自分の狩猟道具が、こういう使われ方をするとは思っていなかった。
が、これはこれで悪くない時間だった。
家に帰って、車庫入れの後に
帰りにセブンイレブンで、ポケカを買った。おひとり様につき1パック制限。息子と自分で2パックのニンジャスピナー。また目をキラキラさせていた。
家に帰ってきた。車庫入れをして、車を降りて、玄関に向かう。
その道中、ふと息子に
「いい人間に育ってますよ、あなたは。」
と伝えた。
息子は、「なんで?」と。「いや。本当にそう思うから。」と伝えると、まんざらでもない感じだった。
恥ずかしがる様子もなく、普通に「ありがとう!」と返して、ズカズカと家に入っていった。
その素直さが、なんというか、うまく言葉にできないけど、とても爽やかでカッコよかった。
父親のいなかった自分のこと
自分は父親を早くに亡くしている。自分が小4のときに入院して小5で他界した。
だから、こういう体験——父親と一緒に外に出て、夜に星を見に行って、動物を探して、正面から褒められる——みたいな記憶は、一部しか残っていない。
いま、息子とやっていることは、亡くなった父が自分とやりたかった体験だったのかもしれない。
そして、自分が子どもの頃に体験できなかったことなのかもしれないし、それを、息子には体験させてあげられているのかもしれない。
そして、そのことに、自分自身も息子に学ばせてもらっている気がしてならない。
月並みな言葉だけれど、こういう時間こそが「幸せ」なのではなかろうか、と思った。
感情の揺らぎは、放っておくと忘れる
普段、自分はデスクワークで、パソコンとずっと向き合っている。しかも自営業、フリーランスなので、休みもあってないようなものだし、朝も夜も仕事をしている。仕事と私生活の境界も曖昧である。
そんな生活だから、子どもと一緒に、こうやって夜に外に出て、星や動物を見に行くような機会は、なかなかない。
久しぶりにやってみて、その中で心の中に湧いてきたもの—この感情の揺らぎのようなもの—は、テキストに落とし込みにくいなと思った。
でも、なんとかして言葉にしないと、消えてしまいそうだった。
消えてしまうのは悲しい。
あと1週間で、夏休みが終わる
あと1週間もすれば、息子も娘も、学校に通い始める。またいつもの日常が戻ってくる。
8月は暑すぎて有害鳥獣駆除も中止になったので、なかなか駆除にも出られていないし、朝昼晩、家族とともに過ごす日々が続いていた。
その分、家族と過ごす時間の貴重さや、子どものおかげでいろんな体験をさせてもらっていることに、改めて気づけた。
子どもが子どものまま自分と話をしてくれる時間は、そう長くはないらしい。
いつか本当に、息子と一緒に猟に出る日が来るかもしれない。それまで、自分もちゃんと健康で、ちゃんと大人としての役割を果たしながら、しっかりと生きていきたいと思う。



コメント