狩猟と駆除と生きがいと呪縛

8月に入ってから、地元の有害鳥獣駆除は暑さのために中止。

駆除隊としての巻狩りに出られない期間でも、被害は出ている。駆除数を稼がないといけないので、自分は個人捕獲というかたちで駆除に出続けていた。

感覚がなまることに、若干の焦りがあったのもある。クソ暑い中の駆除。2回は熱中症になりかけて、実際に1回はなった。

そんな中、盆休みで1週間、実家の宮崎に帰った。

小さい頃から遊んでいた海水浴場

大分・宮崎・福岡と回る、久しぶりに完全な休暇。この1週間で気づいたことが、いま自分の中で大きいので、忘れないうちに書いておく。


目次

頭の中の4割が、狩猟だった

盆休みに入るまで、自分は文字通り24/7、狩猟のことを考えて生きていた

  • 山を眺めながら、「この山だったらどのあたりに動物が潜んでいるか」を考える
  • 田んぼや畑の柵を見ながら、「このあたりの被害はひどそうだな」などと考える
  • 車で移動しているだけで、視界の中の獣を無意識に探している
  • 家にいても、鉄砲と手持ちのギアの組み合わせを頭の中で組み替え続けている
  • 獲物にどうアプローチするか、どこを撃つか、間合いをどう詰めるかをイメトレする

こういうことを、常にやっていた。

ただ椅子にすわって、猟や駆除のことを考えているだけで、あっという間に30分から1時間は経過している。

身体は動いていなくても、頭の中では常に猟のことを考えいる。そんな状況である。

いま振り返ると、脳のメモリの4割くらいが、駆除と狩猟に常時割り当てられていた感覚がある。仕事もあるし、家族との時間もあるし、自分の趣味もある。それらを全部合わせて残りの6割で回していた。


盆休みで、強制的に切り離された

大分の川でハヤ釣り

盆休みは、1週間まるまる休みを取った。

大分に泊まり、宮崎の実家に泊まり、帰りは福岡に泊まった。移動が多く、家族や親戚、久しぶりに会う友達と、ずっと話をしていた。

途中で、川や海や渓流にも行った。子供とプールで遊んだ。釣りも少しした。狩猟のことを完全に忘れられる環境に、強制的に自分を置いた

意図してそうしたわけではない。実家に帰れば銃は持って行けないし、休みなので仕事も止まる。それだけで、頭の中を占めていたものが、自然と押し出されていった。

3日目くらいだっただろうか。「あれ、いま自分の頭の中、めちゃくちゃ楽だな」と気づいた。

宮崎のうまい飯

一歩引いて見たら、自分が”呪い”にかかりかけていた

1週間経って、実家から帰る道すがら、こう思った。

「狩猟が、自分にとって”呪縛”になりかけていたかもしれない」

義務感がないわけではない。有害鳥獣駆除は市区町村の委託を受けてやっている業務でもあるし、被害が出ている以上、駆除数を稼がないといけないという責任もある。この義務感自体は正しいものだと思う。

一方で、私はもともと狩猟が好きで、自分自身のために動物を獲っているという自覚もある。義務感だけでやっているわけではなくて、自然というごまかしの利かない環境で挑戦することに、純粋な楽しさもある。

この2つは、うまく共存していたはずだった。

ただ、「こうしなければならない」「こうすべきだ」という思考が、いつの間にか頭の中の大きな割合を占めていた。それが盆休みに完全に離れてみて、初めて分かった。

生きがいだったはずのものが、義務感に押されて、少しずつ呪縛となっていた気がしてならない


生きがいと呪縛の境界線

家族でゲーセンでとったちいかわ族

「生きがい」と「呪縛」の違いは何だろうか。

  • 生きがいは、そこに向かうと自分がエネルギーを回復するもの
  • 呪縛は、そこに向かい続けないと自分が不安になるもの

・・・正直よくわからん。結論は出ん。

いずれにせよ、この違いは日々のグラデーションの中で起きる。狩猟は、間違いなく私にとって生きがいだ。

ただ、義務感と重なって「常に考え続けていないと不安」の状態にまで振り切れると、それはもう生きがいの側にはいない。呪縛の側に片足を突っ込んでいる

いつしかそうなっていたし、自覚もしていなかった。

あえて一歩引く。——この作業を定期的にやらないと、生きがいは呪縛にすり替わるのかもしれない


9月からどう向き合うか

9月に入れば、有害鳥獣駆除も再開する。子どもの夏休みが終わる。仕事も通常に戻る。

頭の中には、また少しずつ狩猟のことが増えていく。それ自体は自然なことだと思う。

ただ、今回気づいた「4割まで振り切る前に、意識して一歩引く」というのは、これからのルールにしていきたい。生きがいを生きがいのまま長く続けるための心がけである。


忘れないうちに、言葉にしておきたかった

こういう気づきは、日々の忙しさの中で簡単に流れて消えていく。

盆休みという特殊な環境で、たまたま自分と距離を置いて眺めることができた。この感覚は、9月に戻って狩猟のペースが戻ってきたら、また埋もれてしまう可能性が高い。

だから、言葉にして残しておく

自分にとって狩猟は間違いなく生きがいだけれど、生きがいだからこそ、時々そこから離れて頭を空っぽにする時間を、意識して確保する。

義務感は必要。でも呪縛にはしない

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