先日、有害鳥獣駆除にバイクで出かけてきた。一人である。
最高気温39℃。
結論から言うと、39℃の中をバイクで走って、あちこちの猟場を1日中回る。これは本当に命に関わるなと感じた。
今後は控えようと思っている。(やめるとは言ってない)
クソ暑い。とにかく。
熱中症には絶対になりたくない。フリーザーベストを着たり、冷凍した1.5リットルのペットボトルを保冷バッグに入れて持っていったり、いろいろやって万全を期しているつもりではある。
それでも帰宅時には、軽く熱中症になりかけていた。
朝一に、鹿がいない
この日は、盆が明けて一発目の出猟だった。
できれば鹿を何頭か獲りたい。カワウの駆除もできたらいい。そう思って、まずは朝一で山を回った。
7時頃から猟場をドサ回りした。
どういうわけか、1匹も見なかった。
これまで夏に鹿を穫ることはなかった。猟期に山に行って、朝早くに食事に出ている鹿を撃つ。ずっとそういうことばかりやってきたので、夏でも朝一なら鹿がいるだろうと思っていた。
普段なら10頭とか20頭とか見るような場所で、本当に1頭も見なかった。
10時前後になって、ようやくポツポツと1頭、2頭と見るようになった。
夏の鹿は、10時ごろに起きる?
冬なら、夜中に動いたら寒さで生きられない。だから夜はじっとしていて、朝方、日が昇り始めるころに食事に行く。そういう生活リズムになっているから、朝イチや夕方に鹿が出てくる。
夏は違うのかも。
夜中に動いても死なない。むしろ日中に動く方がしんどい。だから夜のうちに食事を済ませて、昼は涼しいところで寝ている。そして起き始めるのが10時ごろ。
後から調べたら、違った。
夏は日の出が早い。鹿は夜明け前から早朝にかけて採食を済ませて、気温が上がりきる前に、涼しくて深い日陰へ入ってしまうらしい。
自分が7時に山を回り始めた時点で、鹿はもう寝屋に入り終わっていたわけだ。
では、10時前後に見たあの数頭は何だったのか。
日が高くなって、最初にいた日陰に光が差し込む。それでもっと涼しい場所へ移ろうとして、一時的に立ち上がる。そのタイミングに出くわしただけらしい。
起きたのではない。いわば寝返りだった。
夏に朝一で鹿を獲りに行くのは得策ではない。それはこの日わかった。
日の出と同時、本当に朝5時とかだったら、また違うのかもしれない。ただ、自分にはまだしんどい。冬ならまだしも、夏の日の出から動くのは早すぎる。
半矢にして、逃がした
鹿を1頭、半矢にしてしまって逃げられた。
前足を引きずっているのは見えた。ただ、血痕が落ちていなかった。
血痕が出ないのは、筋肉を掠めただけの浅い傷か、被弾位置が高くて胸腔に血が溜まった場合らしい。前足を引きずっていたことを考えると、前者か。
おそらくどこかで足を引きずりながら生きているとは思う。
ある程度トラッキングした。500メートルか600メートルくらい、結構な距離をあちこち探した。それでも血痕がないので、どこへ行ったのか全くわからなくなってしまった。
諦めて戻った。
これは、2週間から3週間、実包を撃っていなかったことに対する戒めだと思っている。もっと腕を磨かなければいけない。
カワウ4羽
11時から12時前後になってきたので、そろそろ帰ろうと思った。
帰りに、普段よくカワウを駆除している池に寄った。
そこでカワウを4羽、駆除した。
最初のころは、カワウに弾が当たることなんて本当になかった。
カワウは、こちらに気づくと池の周りをグルングルン旋回しながら、高度を上げて逃げていく。
狩猟を始めて1年目、2年目でカワウを狙っていたときは、3発撃ち切った後もグルングルン回りながら、どんどん高く飛んで逃げていく。それを目の当たりにして、すごく悔しい思いをしたこともあった。
今回は、4羽全部落とせた。
目の前で羽を乾かしていたカワウと、その横に3羽。
最初の3発で4羽に弾は入ったらしい。追加で止めに3発。浮いているカワウ2羽に一発ずつ、陸でこっくりこっくりしていた1羽に一発。
合計6発で、4羽。

2年前の自分と比べると、だいぶ上達したと思う。
ドットサイトを使っているが、本当に狙った通りのところに弾が行く。道具に使われているんじゃなくて、道具を使いこなしている。そういう実感が湧いた。
干上がった溜め池と、底なし沼
大変だったのは、回収だった。
連日のカンカン照りで、溜め池がものすごく干上がりかけていた。
池はひび割れていて、恐竜のウロコみたいな割れ方をしている。
それだけならまだいい。
微妙にまだ乾いていないところがあって、底なし沼みたいになっていた。
カワウを回収するために、その泥の部分をいかに避けて歩くか。
前日あたりに鹿がそこを歩いた形跡があったので、鹿の足がどれくらい沼にはまっているかを確認しながら進んだ。
少なくとも鹿が歩けている場所なら、人間も歩けそうだとわかる。
逆に、足跡がズボッとなっていたり、足跡そのものが消えている部分は、おそらく相当深い。そう考えて歩くルートを決めた。
それでもどうしようもない、届かん、という場面が出てくる。
そういうときは、遠くにある石を投げ込んで石で橋を作ったり、でかい丸太を投げ込んで丸太で橋を作ったりした。
回収ルートまで橋を作って、陸にいるカワウはそれで回収できた。
沼がどれくらい深いかわからないので、木の棒で歩くたびにブスブス刺して、深さを確認しながら歩いた。
ある程度うまく、命を大事にの戦法で回収できたと思う。
できれば本当はやりたくない、こういう回収は。
水面に浮かんでいるカワウについては、その池の水の流れを自分は把握していたので、おそらくこの辺りに流れ着くだろうという見当がついた。
対岸の斜面沿いに池のふちまで行って、棒で引き寄せて回収した。
途中で1回やらかした。
足が思いっきり、くるぶしくらいまでズボッとはまった。
普段いつも履いているダナーフィールド。個人で狩猟するときに常に履いているブーツで、先日磨いてピカピカにしたばかりだった。
…全部泥だらけになった。
ともかく、以前YouTubeでサバイバルの動画を見ていて、「底なし沼にはまったらこうしろ」、みたいなのを勉強していた。だから最悪、両足はまってしまってもこうすればいい、という手順が頭にあった。
おかげでそれ以上はまらずに済んだ。
勉強しておいてよかったと思う。気をつけなければいけない。
単独で入る泥沼は、動けなくなっても誰も来ない。軽いスローロープを積んでおいて、岸の木に結んでから入る。それくらいはやるべきだった。
全身黒で、39℃を帰る
4羽のカワウを処分してから、バイクで帰った。
まだ時間はあったので、ゆっくり帰ろうと思った。
ただ、そのときの最高気温が39℃。
39℃もあると、猟場から自宅まで帰る間に絶対に熱中症になる。
猟のときは目立つオレンジ色のベストを着る。ただ、個人で捕獲するときの移動中は、できるだけ目立たない色の服を着るようにしている。
それがまた面倒で、黒なのだ。服も黒いし、着ているベストも黒い。本当に真っ黒だった。なんならヘルメットも黒い。
これは自分が悪い。
熱を吸収しすぎて、これはやばい、休憩しながら帰らんとやばいぞ、となった。
普段通らない、できるだけ日陰が多いルートで帰ろうと思って、山沿いをぐるぐる走った。
峠の上に、お社があった
途中、初めて通るルートに入った。
ずっと上り。本当にポツポツと家があるような場所を抜けて、山沿いを抜けて、抜けて、抜けていく。
峠を越える、その頂上。これから下りになるという地点で、ふと左手にお社が見えた。
バイクを止めて引き返した。
確認してみると、ものすごく大きい。ただ、手入れがされていないお社だった。

手入れはされていないけれど、誰かが訪れている形跡はあった。
お稲荷さんにあるような参道が山の方へ続いていて、階段はない。本当に坂道になっている。
登り切ったところに社殿があった。
何十年か前までは手入れされていたんだろうな、という形跡はある。ただ、いまは誰も管理していない。ボロボロの社殿だった。
賽銭箱も何もない。動物の糞もある。
それでも、その社殿に誰かが小銭を置いている形跡があった。
参拝している人はいるんだろうな、と思った。
自分も何かの縁だしと思って、手を合わせた。
そもそも、狩猟っていいことなんだっけ
ふと思った。
あれ、そもそも狩猟って良いだっけ、悪いんだっけ。
動物の命を奪うということは、よろしくないことなのか。
いろいろ考えたのだけれど、よくよく考えたら、日本神話の中で普通に動物を狩る神様がいたな、と思い出した。
神様も昔、動物を狩っていたし、魚を獲ったりもしていた。
日本の歴史上、神様たちも同じことをやっていたわけだ。
まあ、別に大丈夫か。
そう結論づけて、参道を下りた。
可愛いと思うことと、獲ること
動物を駆除しないといけない、動物を狩猟したい、と思う一方で、鹿とかアナグマとか、普段獲っているような動物を「可愛い」と思ってしまう。
そういう矛盾した感情が、自分の中にある。
これも、よくよく考えたら人間でも同じだ。
好きな人間もいれば、嫌いな人間もいる。
同じ種族でも、相手によって違う。
自分の中でクリアになった。
帰ってから調べたら、狩猟の神様だった
帰った後で、あの神社は一体何の神社だったんだろうと思って、いろいろ調べてみた。
祭神は、天津日高日子穂々手見命。
いわゆる山幸彦だった。
いろいろなご利益がある神様なのだけれど、一言で言うと——狩猟の神様でもあるらしい。
普通に考えれば、不思議ではない。
あんな山奥で、動物と共存しなければいけないような場所。そして棚田があるような場所、田んぼがいっぱいあるような場所だ。そういう神様を祀っていることは、まったく不自然ではない。
狩猟はドラマが起きやすい
よくわからないのだけれど、ことさら狩猟においては、こういうドラマチックな出来事がものすごく起きやすい気がする。
普段の自分は、物事のハブになるような立場の仕事をしていたり、中間管理職的な、人と人との間に立って調整する役割をしていたりする。
橋渡し的な役割ばかりしているからこそ、自分が気づかないような感覚とか、前兆とか、そういうものに目を向けていない生活を送っている。
だからこそ、狩猟という一人の時間には、こういうドラマチックな出来事が起こったりするのかもしれない。



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